「奇門遁甲」と聞けば、中国の三国志や諸葛亮を思い浮かべる方が多いかもしれません。
しかし、日本の歴史にもこの方位術が使われた事例が存在するのをご存じでしょうか?
672年、日本を揺るがした「壬申の乱」。
その勝者である大海人皇子(のちの天武天皇)の勝利の背後には、奇門遁甲が隠されていたのです。
壬申の乱とは
壬申の乱は、天智天皇の崩御後に起きた日本最初の本格的な内乱です。
皇位継承をめぐり、天智天皇の子・大友皇子(弘文天皇)と弟・大海人皇子が激突。
大海人皇子は吉野から北東へ進軍し、近江朝廷を破って天武天皇として即位しました。
この戦いには、戦術面だけでなく「奇門遁甲」という古代の方位術が関わっていた可能性があります。
奇門遁甲の痕跡—壬申の乱での活用根拠
大海人皇子が奇門遁甲を活用したと推測される理由を3つ挙げてみましょう。
奇門遁甲の知識の存在
『日本書紀』には「大海人皇子、天文と遁甲に精通す(「能天文遁甲」)」との記述があり、大海人皇子が奇門遁甲の知識を持っていた可能性が高いとされています。
方位判断に必要な情報が記録されている
進軍の具体的な日時とルートが『日本書紀』に記載されています。
例:西暦672年7月24日、「吉野を発し北東へ進む」。
このルートが奇門遁甲的に吉方位であることは後述します。
方位選択の合理性
吉野から近江への進軍で「北東」を選んだ理由は、単に地理的な条件だけではありません。
奇門遁甲の理論によれば、「協力者を引き寄せる」という効果が期待できる吉方位であり、大海人皇子がその効果を意識した合理的な判断をした可能性があります。
奇門遁甲とは
奇門遁甲は、古代中国で発祥した兵術で、「方位」と「時間」をもとに物事の吉凶を判断する方法です。
戦場での進軍や作戦に活用されるほか、現代では旅行や引っ越しにも応用されています。
例えば、運気向上や願望成就を目的に吉方位へ転居する開運法に用いられています。
壬申の乱を奇門遁甲で読み解く
盤珪流奇門遁甲(天地人3通りの六十四卦を出して総合的に吉凶を判断する易系流派の奇門遁甲)の理論を使うと、大海人皇子の北東進軍には次の通り評価できます。
北東は「最良の吉方位」だった
進軍のときは、北東方位が奇門遁甲的に最も有利な方位でした。
吉方位の効果:「天」「地」「人」
期待される吉方位効果は、大海人皇子が最も望むものであった。
天: 大きな財産を得ることを象徴し、ここでは政権奪取を意味します。
地: 勢いよく軍を進めることが可能になることを意味します。
人: 味方を引き入れ、連携を強化することを意味します。
これらの効果が大海人皇子の勝利を支えたと考えられます。
奇門遁甲の現代応用
奇門遁甲は現代においても、旅行や転居を通じて「吉方位」を活用することで、願望実現や運気向上に役立てられています。
例えば、良縁・結婚、昇格昇進、営業大成果、ランクアップする転職、投資キャピタルゲイン、購入不動産の値上がり、受験合格など具体的な成果を期待することができます。
結論
壬申の乱における大海人皇子の戦略的進軍は、奇門遁甲の理論と完全に一致していることから、この占術が勝利を導いた可能性は非常に高いといえます。
奇門遁甲は歴史の一端を支えるだけでなく、現代の私たちの生活にも応用可能な実践的な方位術として、新たな可能性を秘めています。