方位術「奇門遁甲」を使って過去の事件や事故を検証するシリーズです。奇門遁甲には多くの流派がありますが、検証に用いるのは「40年の実践研究と実例検証に基づき独自に体系化した易系奇門遁甲(盤珪流奇門遁甲)です。今回は1582年に発生した「本能寺の変」を取り上げます。
検証する事象
1582年6月1日(新暦6月20日)、光秀は1万3,000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣…6月2日曙(午前4時ごろ)、本能寺を完全に包囲…。(ウィキペディアより引用)
手勢13,000人の大集団、徒歩、移動時間を勘案、方位盤は時盤ではなく日盤を用います。
1582年6月20日 東の出陣で判断します。
検証に用いる盤珪流奇門遁甲について
盤珪流奇門遁甲は、数多くの流派のやり方を参考に、40年の実践研究と実例検証に基づき、独自に体系化した易系奇門遁甲です。
盤珪流奇門遁甲の最大の特徴は、易の六十四卦を無筮立卦で3通り出して、それらを総合的に判断することです。
六十四卦は「天」「地」「人」の3通りを出します。
「天」の六十四卦は、事故や事件などの凶や自然を判断するのに適しています。
「地」の六十四卦は、人と地域・環境との関係を判断するのに適しています。
「人」の六十四卦は、恋愛、協力など人と人との関係を判断するのに適しています。
占事によって重視するウェイトが変わります。
例えば、転居は「天地人」を総合的に判断しますが、着工は「天地」を、個人は「地人」を重視します。事件・事故を検証する場合は「天」を重視します。
検証結果
主君に随うという象意のある卦は、徳川家康も関ヶ原の戦いで用いています。
光秀は当日急に信長討伐を家臣に伝えていますが、家臣がその命に随うか心配であったでしょうし、家康も秀吉恩顧の大名たちが味方として三成軍と戦ってくれるか心配であったでしょうから、この卦で動いたのは最善だったと考えます。
明智光秀の行軍は、1日の行動期間で日盤の吉方位(なお月盤は凶方位)をとりました。
一方、関ヶ原の戦いにおける徳川家康の行軍は、3ヶ月の行動期間で月盤の吉方位を利用しました。
日盤、月盤の作用期間の違いがその後の二人の運命に大きく影響したと考えます。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
盤珪(ばんけい) プロフィール